かるてぃべーと Cultivate

国際協力とか、農業とか、音楽とか、ボードゲームとか。

ベナンでの1日は太陽次第!

 

 

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バナナの葉がゆれる日陰で
のんびりノートを書くのが日課になりました。
りょーこです。


ベナンでの1日をご紹介します。

 

 


12月のベナン


ベナンは西アフリカの国ですが、
日本と同じ北半球の国なので、
今は朝6時ごろから明るくなり、夜7時には真っ暗です。


さらに12月に入り、大乾季が始まったところ。
ハルマッタンという季節風が近づいているらしく、少し肌寒くなってきました。

 


私の任地Kétou(ケトゥ)村では、
朝は掛け布団が欲しいくらい。
(北部はもっと寒いようです。ケトゥは中部。)
夜も涼しく過ごしやすいです。
ただ、日中は28〜30℃くらいになり日差しも強くなります。

 


ベナンでの1日


そんなベナンでは、
お昼休憩をたっっっぷり取ります。


参考までに、平均的な私の1日はこちら↓

(朝シャワーもしていたけれど、寒いのでしばらく封印!)

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特筆すべきなのは、

「長い昼休み」「”実質"作業時間」

それと赤丸の隙間時間も説明します。 

 


昼休みが長い!


決して農業関係者の昼休みだけが長いのではなく、
学校も市役所も他の会社も、

通勤・通学時間と昼休みと帰宅時間は、
ベナン全国、みーんなほぼ同じ時間。(のはず。)

 


ただ、3時間といっても
ご飯を作って食べたり、昼寝をしたりすると
すぐ終わってしまいます。


小学生は、
家が遠い子も多く、
家に帰ってご飯を食べてまたすぐ学校に戻る。


ホームステイ先の子は、
13時に帰宅して、
14時にご飯食べてすぐ家を出ていました。

 


作業時間が短かい!


ただし、
赤丸で囲った隙間時間が長すぎるのは、農業者だけかもしれない…。


朝10:30を過ぎると
「Il y a le soleil.(太陽が出てる)」と言って部屋に入り、
午後15:00過ぎに畑に着くと、
「Il y a le soleil.(太陽が出てる)」と言って日陰で日の入りを待つ。


…つまり、太陽が出てくると作業をしない!笑


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↑こういうこと。

 

圧倒的に少ない作業時間。


ただ作業してるときは、
一生懸命真面目に仕事しているし
汗流して働いているので、
これで仕事が回ってるのなら、
これで良いんだろうと思う。

 


ちなみに、ご飯屋台のお母さんたちは、
お昼に働いて、お昼前と後にお昼寝してます。

 

 


隙間時間の使い方=疲れない術を知ること

 

ベナン人はよく言います。

「日向にいてはいけない、日陰を探しなさい」

ベナン人の生活の知恵なんだろう。


そんな太陽次第の1日だけど
太陽時間にできることはたくさんある。


ベナン人は、よく部屋の掃除をする。

綺麗好き。

書類作業もたまにする。

 


私の場合は、
体力を温存しつつ、(これが大事)
ノート書いたりメモしたり…
写真や動画をとったり歌ったり…


それでも時間が余ったら、
もらった資料を日本語に翻訳したり…
作った資料をフランス語に翻訳したり…etc

 

 


初めの頃は、
隙間時間に勉強して、疲れて、
昼休みにガッツリ1時間半くらい寝てたけれど、


最近は
のんびり作業して、
昼休みものんびりSNSとか軽いPC作業して、

軽くシエスタもして、体力第一。

 


そもそも

初めの頃にどうして疲れてたかって、
現地語やフランス語の会話に一生懸命入ってたから。


毎回、新しい人との出会いで、
全身全霊かけて、初めて、少しだけわかる。

だから、とても疲れる。


それが疲れなくなってきたのも
あー2ヶ月経って慣れてきたんだな、と感じます。

 

 


昼でリセットする分、
午後の作業は頑張れるし、
1日が2回あるように感じる日さえあって、


ベナンの時間は、人に優しく社会に優しい。

 


ベナンみたいに3時間とはいかなくとも、
日本でも、シエスタした方が効率良さそう。

 

 

 

[協力隊]ベナンってどんな国?

 

 

毎日10Lのバケツで水汲みをしている、りょーこです!

JICA協力隊の野菜栽培隊員として、ベナン共和国🇧🇯で働いてます。

 

 

派遣から2ヶ月経って、初のブログ更新!

ということで、

ベナン共和国はどんな国なのか、

ググっても出てこない、自分目線の情報も織り交ぜて書こうと思います。

 

 

目次↓

 

 

 

ベナン共和国🇧🇯ってどこにあるの?

よくマレーシア🇲🇾のペナン島に間違われますが、違います!
決してリゾート地ではありません。

(※2018/12/6訂正: インドネシアではなく、マレーシアのペナン島でした)

 

西アフリカに位置する、最貧国の1つです。

今年2018年に発表されたデータだと、一人当たりのGDPがワースト27とかです。

 

 

隣国は、ガーナ, トーゴ, ナイジェリア, ニジェール, ブルキナファソです。

 

海側(南部)は経済的に発展していて漁業が盛ん、

内陸側(北部)は国立公園があり農業が盛んです。

 

主な農産物は、圧倒的に綿花です。なので綺麗な布も有名です。

気候や、農産物や農業の話は、また別の記事で書こうと思います。

 

 

ベナンのこれ、最低限知っておいて!

 

1.言語

ベナンは1960年8月1日にフランスから独立しました。

公用語はフランス語。文化もフランスの影響を多大に受けています。

政治とか施設とかスーパーの食料とか。

 

その他にも、300以上の民族が住んでいる多民族国家で、200以上の言語があるとか。

(情報元は、現地の先生。本当かな…?)

主なローカル言語は、フォン語, ヨルバ語(≒ナゴ語)などなど。

 

中国語と日本語の違いについて、

「フランス語とフォン語くらい違うよ(雑)」

というと深く頷かれます笑

 

 

2.通貨

お金は、Franc CFA(フランセファ)。

スイス🇨🇭のスイスフランとは違います。

 

日本でユーロに替えて、

ベナンでユーロからフランセファに替えました。

 

1EUR≒130円≒656FCFA

1円≒5FCFA

 です。

 

3.食事

主食は、トウモロコシの粉を練ったもの。

pâte(パット)と呼ばれることが多いですが、地域が変わると名前も変わります。

これに野菜を磨り潰したソースをかけます。

 

基本、これ1皿のみです。

 

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ただ、このpâte(パット)以外にもバラエティに富んだ主食があり、

これも別の記事でまとめます!

 

4.奴隷貿易の港があった

 

ベナンには奴隷貿易の拠点となったOuidah(ウィダ)という町があります。

そこには、「帰らずの門」という巨大な門が海に向かって立っています。

 

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現地ガイドによると、そんな奴隷貿易の港は、アフリカに7つあったそう。

 

ギニア湾に位置するOuidah(ウィダ)は、

現在、観光地になっていて、

博物館や遺跡、ピトーという蛇のいる寺院、帰らずの門を見学できます。

 

協力隊のプログラムでも、語学研修中にOuidah観光がありました。

 

 

 

現地ガイドのフランス語による解説は、

正直ざっくりとしか理解できなかったけれど、

 

それでもOuidahの町の雰囲気や博物館の展示を見て、

奴隷貿易の悲惨さを十分、全身で感じてきました。

 

 

動画やメモもたくさん撮ったけれど、まとめきれません。

これも、そのうち記事にします。

 

 

5.南部と北部

 

ガーナ、トーゴベナンの地域は、今は縦に国が分かれていますが、気候は緯度に並行して一緒なので、民族や文化も横に同じなようです。

 

そのため、日本の北海道と沖縄…まではいかなくとも、北部と南部とで気候や文化がかなり違います。

 

 

ただ、私はまだ

南部の経済都市Cotonou(コトヌー)と

ナイジェリア寄り中部の任地であるKétou(ケトゥ)の2ヶ所、しかも10月11月しか知らないので、なんとも言えない。

 

北部行ってみたい。

寒くて水がないらしい。

ハルマッタンとかいう季節風がすごいらしい。(Kétouにも来る)

 

 

ベナン人と日本人の違い

 

2ヶ月ベナンに住んでみて、

ベナン人は割と日本人に似ているなと感じます。

 

ざっくりまとめると、

  • 働き者!

  • 真面目!

  • お節介!

  • 言葉以外の相手の様子を汲み取る

 

逆にやっぱり違うなぁと思うところは、

  • 時間にルーズ!

  • スケジュールにもルーズ!

  • 外国人にお金やモノをねだる

  • ゴミ箱=その辺

  • やたらポジティブ!

  • やたらマイペース!

 

って感じですかね。

 

はっきりと言葉にするより、雰囲気で相手を察する…みたいな感じは、(人によるけど)日本みたいだと感じます。

 

そんなベナン人の細やかさや大らかさに救われたり振り回されたりして、

毎日楽しく幸せに生きてます!

 

 

まとめ

  • ベナンは西アフリカの国!
  • 公用語はフランス語
  • 通貨はFranc CFA
  • 主食はトウモロコシ(pâte)
  • 奴隷貿易の拠点があった
  • 北部と南部で環境が違う
  • 日本人に似てるところも多し!

 

 

最後までありがとうございました!
À tout à l'heure!! 

 

[文化][本]バナナの皮はなぜすべるのか?

 
 
 
バナナが好きだ。
ミネラルだけでなく食物繊維も豊富なバナナが好きだ。
味だけでなくお腹も満足できるそんなバナナが大好きだ。
 
「バナナの皮はなぜすべるのか?」という本を読んだ。
これがとても興味深かく、バナナの歴史まで調べたので、それらをまとめて書こうと思う。
 
断っておくが、
これは決して”バナナの皮の滑りやすさ”について証明するようなものではなく、
”バナナの皮で滑る"という、ステレオタイプと化してしまった現象をざっとまとめるものである。
 

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バナナの始まり

 
バナナが書物で初めて登場したのは、
1741年 植物学者 ゲオルグ Georg Eberhard Rumphiusの「アンボイナ植物誌 Herbarium amboinense」であるが、
紀元前8000〜5000年には既に世界最古の農業遺跡であるクック湿地帯で栽培されていたようである。
 
ヒエログリフにも食用としてのみならず、治療に利用されていた様子が残っているらしい。
 
欧米に持ち込まれたのは、もっとずっと後になる。
ポルトガル人が西アフリカからカナリア諸島へ持ち込み、しばらくは植民地のプランテーションに使われていた。(栽培適温が20〜30℃だからそもそもイギリスとかでは育たないよね。)
 
その後、イギリス入植者がアメリカでの栽培を試みるが失敗するが、16世紀には(おそらく南米で)広まったらしい。
ちなみに、1799年にはキャプテン・クックがハワイでバナナ栽培を見つけている。
 
 
ちなみに日本には、明治維新後から輸入/移入され始めたが、明治以前にも一部の島々では栽培していたようである。
 
 

滑った人がいたのか?

 
では、バナナが見つかってから人々が滑るまでに何があったのか。
 
アメリカがバナナを大量に輸入し始めたのは、1866年。今はもう見ぬグロスミッチェル種だった。
 
その後、1873年出版の「80日間世界一周」でも紹介され人気が上がっていき、1976年には10セントで売られるほどになった。
 
しかしながら、1879年、当時全国的に売れていたアメリカの雑誌Harper’s Weeklyで、その皮のポイ捨てが紹介され、
1909年には、セントルイスでバナナの皮を公道に投げ捨てることが法律で禁止された。
 
 
日本でも、バナナが庶民の食べ物になったころは皮が落ちていたことがあったらしいが、なぜバナナの皮は落ちていてみかんの皮は落ちていないのか、不思議に思う。(話題性かしら?それとも滑るから?)
 
何はともあれ、
バナナは有名になり、その皮がポイ捨てされ、実際に滑る人がいたことは間違いない。
 
それを見て閃いたのが、アメリカの芸人なのである。
 
 

初めて滑った人

これはアメリカの芸人 ビリー・ワトソンが自称しているようで、1900年ごろのことである。
 
日本人だと、チャップリンが元祖ではないかと思っている人もいるようだが、彼が初めてバナナで滑ったのは、1915年「アルコール先生海水浴の巻」の時であり、少なくとも彼よりはビリーの方が先だ。
(ただ、映画として”バナナの皮で滑る”パフォーマンスを初めて取り入れたのはチャップリンだと言える。)
 
その後もバナナにまつわるお笑いやエンターテイメントはたくさんあるが、それは本を読んだり調べたりしてほしい。
 
 
こうして、”バナナの皮が滑る”パフォーマンスが誕生したのである。
 
 

日本の文化では

1899年に、正岡子規がバナナを詠んでいるが、それは冬の季語とともに使われており、1902年の句ではバナナを夏の季語として使用している。
 
さらに、
1926年 芥川龍之介の「点鬼簿」や、
1935年 堀口大學の「バナナ」
での描写では、当時バナナはまだまだ庶民のものではなかったことが見て取れる。
 
1948年には、長谷川町子さんがバナナの皮パフォーマンスを漫画で描写しているが、その頃から多くの漫画でバナナの皮が描写されるようになったようだ。
 
 
チャップリンの映画もアメリカと同時期に日本で公開されているから、半世紀の間じわじわとバナナスリップ現象が日本に浸透していったのだろう。
 
 
 

終わりに

 
「バナナの皮はなぜすべるのか?」著者の黒木夏美さんは、最後に実演することで検証しているが、私はしない。
 
 
なぜなら、そもそもバナナの皮は捨てるべきではないし、試さずとも滑りやすいのは既に経験済みだからである。
 
それでも、私はバナナが好きだ。
 

 

バナナの皮はなぜすべるのか?

バナナの皮はなぜすべるのか?

 

 

バナナの歴史 (「食」の図書館)

バナナの歴史 (「食」の図書館)

 

  

バナナの世界史――歴史を変えた果物の数奇な運命 (ヒストリカル・スタディーズ)

バナナの世界史――歴史を変えた果物の数奇な運命 (ヒストリカル・スタディーズ)

 

 

[思考・哲学]生活(ほっこり)

 

みなさんは、“生活”していくことに

どんなイメージを持っていますか?

 

 

私の場合、

いつもいつも

何かにつけて意味を見出したくて、

自分の存在意義とか自分の職業とか将来とか

あーでもないこーでもない言うのが好きなんですが、

 

生活と聞くと、

自分はどんな日々を送れば思い描く将来に繋がるのか…とか

我慢して早起きとかお勤めとか頑張る日々=生活?…とか

そんな毎日を送る意味はあるのか…とか

街を探検したり裁縫習ったりするあの教科ね

とか考えます。

 

 

 

そしたらこの間、ふっと帰省したときに

「特に用事ないけど帰ってきたー」

と父に言ったら、

「家族と生活するのに理由なんか要らないだろ」

と当然のように言われ、

むーうと一本取られた気がしたと同時に、

家族や帰れる場所の存在にほっこりあったかくなりました(*´-`)

 

 

生きてく意味とか

周りへの影響力とか

日々の暮らしへの期待とか

無くても問題ないのに求めすぎちゃってたのかも。

 

なるほど確かに、

意味を求めすぎていることで

見えなくなったり失ったりすることもあるのでしょう。

 

 

今の自分を大事にして

周りに在るものに感謝して

1日1日を生きていく、

それが自分の営みであり生活なのね、きっと。

 

 

 

と、自分の”生活“を見直してみようと思った

りょーこでした。

 

 

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↑父が安くなっていたと嬉しそうに捌いていたキンメの刺身

 

[映画]この世界の片隅に

 
君の名は。に囚われていたら、
凌ぐほどに注目されていた映画。
 
上映中は観に行けなかったので、DVDにて鑑賞。
 
 
観に行った友人から、
「戦争中の”日常”を淡々と写してる感じ」
と言われて何故それで高評価なのか、イメージが湧かなかったけれど、
観てみて納得。
 
鑑賞後にふわっと幸せな気持ちになる映画だなと思いました。
 
 
主人公もストーリーもはっきりしていなくて、大枠は決まっているけれども、それだけという感じ。
 
 
ーネタばれーーーーーーーー
小さい頃から絵ばかり描いてのんびりしていたり、
すぐに迷子になったり、
嫁に行っても(私に比べたら全然すごいけど)仕事が遅くてお義姉さんに取られてしまったり、
野草を採ってきてご飯にしたり、
高価なお砂糖を水に溶かしてしまったり、
急にお嫁に呼ばれたのにちゃんと好いている旦那さんと防空壕でキスしてたり、
隣にいた子を守れなくて自暴自棄になったり、、、
ーーーーーーーーーーー
 
 
一生懸命、自分のままで生き抜いてるすずさんが、眩しくて。
「おまえ、普通やな」的なセリフを幼馴染みに言われるところとか観てると、なんてかけがえのない魅力なんだろうとか思える。
 
 
彼女はただ彼女を生きていってるだけかもしれないけれど、他の人にはそれがとても安心感があって、よりどころになっているんだろうなぁと、救われた気持ちになりました。
 
 
 
戦争批判とか、
他国批判とか、
自国批判とか、
〇〇主義批判とか、
 
そんなものたちから切り離されて
事実、存在していた当時の”日常”。
 
それは、
白黒つけて責任をはっきりさせるような解決ではなくて、新しい共有の仕方なのかも。
 
 
 
 
 
…明日も早起きがんばろう。
 
すずさんの等身大の人生に
想いを馳せて。
 
 
りょーこ
 
 
 
 

[協力隊]任地変更?!

 

りょーこです!

 

かねてより目標だった、JICAの青年海外協力隊にこの秋合格いたしましたが…

 

格通知が来てから約2ヶ月半。

なんと…

 

任地変更が決定!!!笑

 

 

元々は、西アフリカのブルキナファソ🇧🇫(フラ語圏)に派遣予定でしたが、

今年の8月14日に、都市でテロがあったようで、

情勢が悪化。

 

 

任地は都市から離れた地域でしたが、

バイクでの移動を余儀なくされるような田舎、

そして連絡手段がままならないような田舎であったため、

安全を確保するのが難しいとの現地の判断で、変更に至ったようです。

 

 

要は、田舎をバイクで移動中に、

砂漠地帯から南下して来た、テロを起こすような組織に拉致られたとしても、

連絡の取りようがなくて助けられませんので、来ないでね。

 

 

というように私は解釈しました。

 

諾。

 

新任地は候補をいただいて、近いうちに決定するようです。

 

バイクの免許は、

もうこのまま取るとして(自腹)、

フランス語の勉強は活かせる任国が良いなぁ〜

 

早速、協力隊の”何が起こるかわからない“世界に触れて、

派遣される実感がじわじわしてきた今日でした。

 

 

また報告します!

 

 

[社会][思考・哲学]LGBT総合研究所

 

LGBT総合研究所代表の森永貴彦さんのお話を聞く機会があった。

 

 

高校が女子校だったこともあり、友人の中に同性愛者の人や両性愛者の人もいて、私自身、LGBTをはじめとする性的マイノリティのことはとても身近に感じている。

 

今回は、LGBT・性的マイノリティー正しい理解と企業の向き合い方というタイトルで、大胆にもマイノリティの人たちをインフルエンサー=イノベーター層として捉える企業戦略を提案する内容だった。

 

 

それをマイノリティ側から提案し、

プロモーションや商品デザインにヒアリングを反映させ、

話題化・プロモーションを成功させているのだから素晴らしいと思う。

 

 

私の思うダイバシティ

ダイバシティは、性的のみならず、人種や国籍、言語などいろいろな方面で起こっていることであるし、そのときにマイノリティに目を向けて共存していくことは自分が生きていくために必要なことだと私は常々思っている。

 

 

なぜ必要なのかは上手く説明できないけれど、

他者を排除していく先に、自分の幸せがあるとは思えないからで、植物や動物たちに多様性があるからこそ地球が成り立っていることを知っているから、というのが自分のダイバシティに対する考えである。

 

 

グラデーション 

話は戻って、

性的マイノリティを語るときに、人はLGBTから話し始める。

 

それは極自然なことだが、私は自分の経験上、性別も性格と同じように、(そして血液型とは異なって、)いくつかのグループには分けてしまうのは難しいのではないかと思っていた。

 

 

そこに答えをくれたのが、今回お話ししてくださった森永さんだった。

 

森永さんは、マイノリティの説明をする際に、

本当はいくつも項目があることを断ってから、

の4点を挙げて、これらがグラデーションのように個人で異なることを説明してくれた。

 

 

そう、グラデーションなのだ。

これがストンと腑に落ちた。

男か女かではなく、身体性でさえ様々な人がいる。実際にいるのである。

 

私たちは、少なくとも私は、

そんな感じはしていても知らないがために、グラデーションの間にいるような人たちのことを認識できないでいたのである。

 

 

男の子っぽい女の子や、女の子っぽい男の子を、

女じゃない、男じゃないと

決めつける必要なんてなかったのである。

 

 

 

それぞれの存在を違和感なく受け入れられる、

そんな人間になって、そんな社会を目指して生きてけたらいいな

と思えた講演だった。

 

 

 

LGBT総合研究所HP

http://www.lgbtri.co.jp/