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[思考・哲学]偽善者と社会不適合者-アメリカ大統領選に寄せて

 

社会不適合者

よく修士に進み博士課程に進む人は

社会不適合者だと言われる。

 

大学教授たちもそうだ。

彼らは現場を見て、分析をして、理論を語るのが仕事である。

 

 

今日、ある人が言った。

「人間は本なのよ」

 

その人自身が(実験)素材であり土台であるのだ。

学者が頭で考えて証明した科学は、人1人が生きて証明した事実に、いかに現実的かという点で勝ることができない。

 

どんなに戦争について勉強しても、

内戦を生き抜いた難民たちには、

その理論は遠く及ばないのだ。

 

 

 

偽善者

谷川俊太郎さんは言ったそうだ。

「戦争は絶対なくならないと確信するようになりました。」

「今、すごく偽善的な生き方が流行っている」

(2015.8.15 TV 情熱大陸)

 

 

 

ケンカだって、イジメだって、

人はダメなものを“排除”しようとする。

 

それで良いのだろうか。

 

 

 

 

 

世の中は今、自分以外を“排除”することで“世界=自分”を保とうと必死である。

 

 

イジメをなくすために

児童書を検閲する。

 

国民を守るために

難民を拒絶する。

 

自国を守るために

戦争をする。

 

 

それで本当に良いのだろうか。

 

 

 

 

 

人類は

火事に侵されながらも、火との付き合い方を学んだことで、叡智を増やした。

 

 

先週の鉄腕DASHでこうあった。

新男米が雑味がない。故に旨さにかける。

もし雑味を全て取り除いたら、旨味は生まれないのだ。

 

 

 

 

土壌と微生物

 

社会とは土壌のようなものだ。

はっきり言うと、土壌の方がよほど多様だが、

微生物が互いに影響しあって土の秩序は保たれている。

 

しかし、1つの強い菌が繁殖するとどうなるか。

 

その土壌は病気に犯されやすくなり治癒力も最早無くなってしまう。

 

いかに多様を保つかが土づくりの基本なのである。

 

 

 

なのに、どうやら今の世界は

人間が人間さえも洗練し、

他者を排除せずには居られない。

 

 

 

 

 

“社会の中”に生きて

偽善をも飲み込んで

悪さえも受け止めて

生死とも向き合って

 

人として1つの本を紡ぎながら

他者との付き合い方を模索する

 

そんな

土臭く泥臭い生き方を

恐れずにできる人間でありたいと

 

しみじみ思う私なのだ。

 

 

 

 

参考ブログ:

詩人谷川俊太郎と戦争|りょうじがゆく

 

谷川俊太郎 詩集:

 

二十億光年の孤独 (集英社文庫)   自選 谷川俊太郎詩集 (岩波文庫)