[教育]ゼミの意義
どの研究室にもそれぞれの形のゼミがあり、それぞれの形で運営されていることと思う。
これはあくまでも、ある大学のとある研究室の話。
ある日、事件は起こった…
ここでは、毎週1回のゼミが行われており、発表者は順繰りに交代していく。
後期は、4年生の中間発表、下級生の班ごとの論文発表がメインである。
その日の発表者は、下級生のある班。
ミミズと土壌および作物の関係を分析しようという、とても興味深い北海道大学の研究報告がベースだった。
が、しかし、
ベースも何も、発表は内容をスライドにまとめ、報告をそのまま読み上げるだけ。
これが、難解なテーマであって、実験方法や用語理解などに時間がかかってしまったのならば、100歩譲って良しとしよう。
今回の報告は、ミミズを土壌に投入して、土壌の硝酸態窒素や作物の収量を観察する、ごく簡単な実験であった。
そこでゼミの意義が問われる
ゼミとは何のためにやっているのだろうか。
ゼミによって何が学べるのだろうか。
そもそも、研究室に対して主体的でない学生が多いことは、また別の問題でもあるのだが、あまりにもゼミを怠惰にこなしすぎではないのか。
そもそも、研究室に入ったのは、研究に携わる先輩や同期、後輩と交じりながら、自分の考察力や実験スキルを高め、卒論執筆のために精進したいからではないのか。(そうではないことがほとんどであるのが現実だが。)
たくさんの論文を読み、
たくさんの意見を交わし、
試験区の作り方、考察の立て方、実験の組み立て方などを勉強する。
それがゼミの時間ではないのだろうか。
授業で質問できなくても良い。
でも、研究室でさえ発言できなければ、あなたはこれからどうやって社会に出ていくのですか。
「批判しろ」
高校のとき、
現代文の授業で常に言われた。
「批判しろ」
今ならその意味がわかる。
他人の意見を聞いて無関心ではダメ。
他人の意見を聞いて関心を持つだけでもダメ。
自分の意見を持って、相手にぶつけないと新しいものは何も生まれないし、何も進まない。
ゼミこそ、創造的な場所であるべきだと思う。
普段はよくわからないことも一生懸命理解して、自分ならどうするかを考えて、最後は先輩や先生の話を聞く。
自分の意見が発表できて、
他人の意見が返ってきて、
最後は先生に意見もらえる。
こんなチャンス、滅多にないのよ。
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
「自分の感受性くらい」茨城のり子
ちなみに…
私だったら、
ミミズの研究報告+土壌分析の方法論
を組み合わせて説明して、
処理区の見直し、調査項目の検討をし直した上で、
ミミズを農業に導入していく動きとか、実際運用されているミミズはあるのかとか、そもそも他にどのような研究報告があるのか(どんな形で数値化しようとしてるか)など、小ネタを挟んでみるかしら?
そんな面白い研究ができたら、
ワクワクして仕方ない!
りょーこでした♪