かるてぃべーと Cultivate

国際協力とか、農業とか、音楽とか、ボードゲームとか。

[思考] 外国人と共に生きるということ

 
 
こんな記事がありました。
 
2018年12月5日(水) 外国人労働者127万人 共生をどう進める?/NHK クローズアップ現代+
 
 
中盤にある、
日系ブラジル人の小学生の言葉が引っかかりました。
 
 
「ブラジルではたくさん友達がいて、いつも一緒だったのに、
日本ではいつもひとりぼっち。」
 
協力隊で感じる、孤独と
少しだけ(ほんの少しだけ)
似ている気がして、文章を書きたくなりました。
 
目次 
 

外国人とのコミュニケーションで必要なもの

ベナンに来て、
わたしは今、外国人です。
 
常に言葉の壁、コミュニケーションの壁、文化の壁にぶつかります。
 
壁にぶつかっても楽しめているのは、
自分が来たかったからです。
 
伝わらない部分もあるけれど、
工夫して愚直に伝えることで、
伝わるんです。
 
それは、もしかしたら
日本人同士で会話するときよりも
強くはっきりと伝わります。
 
 
そして、彼らは
フランス語が下手なわたしを理解し、
時に辛抱強く時に突き放しながらも、
伝えたいことを読み取ろうとしてくれます。
 
 
そんな彼らの姿勢に助けられて
わたしの日々は成り立っていて、
外国人のわたしとのコミュニケーションが成立しているのです。
 
 

言葉だけが障壁か

記事では、
外国語で意思疎通がとれる教員がいないこと、
外国人向けの教科書がないことなど、
言葉の壁について取り上げていました。
 
もちろん言葉は一番大事です。
 
しかし、言葉が通じたら
日系ブラジル人の彼は1人ではなくなるのでしょうか?
 

オリンピックを前に日本人が考えなければいけないこと

オリンピックを前に、
メディアも自治体も外国人や外国を意識しています。
 
特に、わたしの出身の埼玉県では、来年2019年秋にラグビーのW杯も開かれるため、
特設ページやボランティアの募集など、
積極的にPRしています。
 
 
とても良いことだと思います。
 
普段、外国を全く意識しない人々も意識せざるを得ない雰囲気。
しかもオリンピックを利用して、
ポジティブかつ自然に外国人を受け入れようという空気を作れます。
 
 
ただ、このままではオリンピックだけで終わってしまいます。
 
 
共生するということは、
生活を共にするということです。
 
イベントで盛り上がるのは共生ではありません。
 
 
“労働者"としてではなく、”生活者"として受け入れようとしなければ
いずれ問題が大きくなると思います。
 
外国人の「単純労働者」を受け入れへ
 
 
 
日本は外国をどう受け入れればいいのか
 
日本は外国とどういう関係を築きたいのか
 
自分は外国人とどういう関係を築きたいのか
 
 
外国人として海外で暮らす中で、
日本や日本人の立場を考えさせられると同時に、
 
ちっさい個人として考えると、
 
多様性があるから自分が生きると感じるし、
内向きにならずに理解しようとする姿勢や工夫や努力が、
国際協力であり、共生することなんじゃないかと思うのです。
 
 
 
そして、
日々、そんな姿勢でわたしと向き合ってくれるベナン人には、
本当に感謝しかない。
と、改めて思うのです。